黒澤明の生きるを見た

某nextで無料で見れたので、黒澤明の『生きる』を見ました。先にリメイク版を見てしまったせいかもしれませんが、ちょっと冗長に感じてしまいましたが良い映画でした。2時間近くあるんだね。そりゃ長いね。

以下リメイク版を先に見てしまった人の感想なのでちょっとあれかもしれない。なおネタバレは全く配慮していません。

これほんと怒られそうなんだけど、最初のナレーションでめちゃくちゃ笑ってしまった。この頃の日本映画は言葉で説明をするのが普通だったのかな? それとも黒澤映画の特徴なのかな?(私は生きる以外の黒澤映画を見ていません)最後まで見切って、やっぱりリメイク版のストーリーや情報の削ぎ落とし方と付け足し方は舌を巻くほど上手いぞ!? と思いました。さすがカズオ・イシグロ。

ちょっと作業しながらながら見してしまったのは良くなかったな、と思うのですが、登場人物が説明をしてくれるので結構横目で見られてしまったのはありました。あとキーパーソンの女性の表現は黒澤版のほうが好きかもしれない。これは当時の世相を反映させているだけかもしれないけど、女性が「こういうのを作っていると誇らしい」みたいなことを言う場面があるのですが、リメイク版だと主人公に「まだウェイトレスをやっているのか」みたいに言われる立場に変わっていて、そこはなんか、当時の日本と英国の違いなんだろうな〜と思いました。それかカズオ・イシグロの感性なのかもしれない。黒澤版だとこの一言で主人公は自分も何かつくりたい、後世に残すものを作れるはずだ、と考えつくわけですが、ここの解釈もちょっと変更されてて唸りました。

リメイク版だと最後に「後世に残るかはわからない、記憶に残るかもわからない」と主人公が一番若い部下に手紙を残すわけですが、黒澤版だと自分が成し遂げたことについて結構「おれはやってやったんだ」という満足感が前面に出ている感じがしました。ここはリメイク版のほうがなんかわかるな〜と思ったところ。必ずしも市井の人々の記憶や記録に残るわけでは無いけれど、自分は精一杯やり切ったのだ、忘れられてもそれでも良いのだ、という気持ちに共感したというか。そのある種の潔さに憧れを抱いているというか。

黒澤版だと「おれはやってやった」という自己満足的なところがフィーチャーされていて、それまでの苦労を部下やほかの部署の皆さんがやんややんやと語るわけだけど、主人公が「忘れられてもいい」と思ってたかと言われるとどちらかといえば「覚えていて欲しい」「後世に残したい」という気持ちの方が強くある気がしました。それが最後いつも通りの業務態度に戻ってしまった部下たち、というので主人公が忘れられてしまった感じがして、人の記憶の残酷さみたいなものを感じました。ここで最後上司に向かって立ち上がるけれど諦めて座る部下、というのがどちらにもあってよかったな。この部下には主人公の残した考えがきちんと継承されているとわかるので。

どちらもとても良い映画だったけど、私は短い映画が好きなので、リメイク版のほうがちょっと得点高いかな〜というかんじでした。90分で見られる映画はえらい。

あとこれは今でもかわかんないですけど、日本映画って日本映画のお作法(状況説明を口頭でするとか)がやっぱりあるんかな〜と思いました。あまり邦画を見ない生活をおくってきたので、なんかすごい、しっくりこないというか、ちょっと不思議な感じがしてなんだろ〜と思ってる間に映画が終わってしまう。こればっかりは映画をたくさん見て慣らしていくしかないんだろうな。人生の時間が足りないね。おすすめの邦画あったら教えてください。

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